三学期始業式の校長講話 「分かち合うこと」を大切に!
2024年1月9日 10時41分朝、宇和海から昇った太陽が暖かく迎えてくれる中、三学期が始まりました。
まずは、学校を大掃除して、清々しい気持ちで始業式に臨みます。
校長先生からは、どんな話があるでしょうか。
昨年の三学期始業式は、大国主命と因幡の白うさぎの話でした。
昨年の二学期終業式は、ユダヤ教とイスラム教の神様からくるイスラエル内の紛争の話。そして平和を願うジョンレノンの「ハッピークリスマス」の話でした。
校長先生:この写真は、誰か分かりますか。これはかなり難しい。
佐伯敏子さんという方です。5年生の国語の教科書に出てくる「たずねびと」。あのおばあちゃんは、本当におられた人なんです。
原爆で亡くなり、引き取り手のいない7万人のお骨が、この原爆供養塔の中に眠っています。
佐伯さんは、体調を崩し外出できなくなるまでの約40年間、ほうきを持って原爆供養塔の清掃奉仕活動をされ、約20年間、被爆体験証言をされました。
詳しくは、来週15日(月)に、広島のNPO「Ant-Hiroshima」とオンラインで結び、学習します。
児童:「えー。そうなんですか。」
校長先生:「今日のお話は、佐伯さんがここにいた頃、何かと一緒に過ごされた吉川信晴さんという和尚さんの話です。修学旅行の子どもたちが感心して聞いていたらしいです。」
お釈迦様の国、インドに伝わる話。
ある夏、日照りが続き、水不足が起きた。畑に引く水がなければ農作物が育たない。隣り合う2つの村では水の奪い合いで争いが起き、いよいよ戦争に入ろうとしていた。それを知ったお釈迦様は、それぞれの村の村長を呼び、「なぜ戦うのか」と尋ねた。
村長たち:「水がないからです。」
お釈迦様:「水がないとなぜ困るのか。」
村長たち:「水がないと農作物ができません。」
お釈迦様:「農作物ができないと、なぜ困るのか。」
村たち長:「農作物がないと、村人の食べ物がなくなります。」
お釈迦様:「食べ物がなくなると、なぜ困るのか。」
村長たち:「食べ物がなければ、村人は死んでしまいます。」
そこでお釈迦様は、二人の村長に問うた。
お釈迦様:「村人を生かすために、お前たちは殺し合いをするのか。」
「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年 堀川惠子 P348参照」
校長先生:「さて、変なことになってきました。このままでは、生きることが大切なのに、戦争になったら、勝っても負けても多くの人が死んでしまいますね。
さあ、村人と同じようにみんなも考えて、相談してみましょう。」
校長先生:「どうでしたか。発表できる人はどうぞ。」
児 童:「協力し合う」「分け合う」「別な水を探す」
校長先生:「みんなの考えは、すばらしいですね。生きるために、奪い合い、殺し合うのではなく、生きるために分かち合う。
その結果、村長は限られた水を有効に使う手立てを相談し、戦争にはならず、誰も死ななかったということです。」
校長先生:「この考え方は、様々なことに生かすことができます。
例えば、イスラエルやウクライナで起こっている争いにも。
みなさんの、ふだんの生活でも、分け合う、教え合う、協力し合うなど。
また、年明けに起こった能登半島地震でも、もし余裕があったら募金などをして、分け合うことも大切です。」
大久小学校では、世界や日本・身近な地域で起こっていることを、「自分事」として考えていくような教育活動をしていきます。